ある少女が商細蕊の夜の芝居を見て家に帰る途中、二人の日本兵に路地へ引きずり込まれた。少女はこの出来事から立ち直れず、首を吊った。髪をきれいに整え、きちんとした服に着替え、胸には商細蕊の芝居の半券と写真を抱いていた。
日本兵を罰することが出来ない人々の批判の矛先は、この時勢に芝居をかけている梨園と商細蕊に向いた。
ある日少女の母親が楽屋へ乗り込んで来た。商細蕊を見ると飛びかからんばかりの勢いで、娘はお前に夢中になって酷い目にあった、娘が長い間恋に迷っていたことをお前は知っていたのかと責め、商細蕊を殴った。商細蕊は何も言えず、ただ驚いて、呆然とした。冷や汗が出て、心臓が激しく打ち、指先が冷たくなった。
程鳳台は上海の紡績工場が爆撃の被害を受けたため忙しく、何日も家に帰らないこともあった。帰っても商細蕊に会わないこともあった。この日帰ってくると、家政婦の趙さんが2階を指差して「商老板は具合が悪そうですよ。早々に帰ってきて、夕食も食べないんですよ」と言った。
事件のことを聞いた程鳳台は、2階へ上がり、服を脱いでベッドに入ると、後ろから商細蕊を抱きしめた。商細蕊は振り返り、額が程鳳台の鼻にぶつかった。商細蕊は目に涙を浮かべてため息をついた。今回また多くの侮辱を受けたが、それは今までにもあったことで、大したことではない。しかし人の命の重みで、心細く、気持ちが落ち込み、いてもたってもいられなかった。
程鳳台は彼の髪を撫でて、「世界が悪いせいだ。君のせいじゃない」と言った。
「じゃあなんであの子は死にたいと思ったの」と商細蕊は言った。「目を閉じるとあの子が私のところに来るのが見えるんだ。亡霊につきまとわれてる。こんなのは不当だ。彼女にとっていい結果にはならない」
「彼女にとっていい結果って何だろうね」と程鳳台は言った。
商細蕊はしばらく沈黙したあと、突然声をあげた。「私が彼女を娶ればいいんだ!もし私がこの事件のことをもっと早く知って、彼女を娶ってたら、死にたいなんて思っただろうか」
程鳳台は呆れたが、この晩商細蕊が言ったことは、冗談でもなんでもなかった。彼は本当に少女の両親に会って、彼女の位牌と結婚すると伝えようとした。幸い杜七と钮白文がすぐにそれを聞きつけて止めた。商細蕊はひどく叱られて首を垂れた。
ある日深夜に程鳳台が帰って来ると、辻で二人の人間がしゃがんで火を焚いていた。葛さんが驚いて、「ニ旦那、あれは商老板じゃないですか」と言った。
程鳳台が眠い目をこすって見ると、そこで商細蕊と小来が紙銭を燃やしていた。程鳳台は近づいて行って、声を落として「商老板、何をしてるんだ?」と聞いた。商細蕊は答えなかった。
程鳳台は黙って、紙が燃えるのをしばらく見ていた。その中に、金銀で模様の描かれた赤い包みがあり、上面に大きな文字で「商門董氏(商家に嫁いだ董家の娘)魂下受用 夫商細蕊敬奉」と書かれていた。この董氏というのは、この前死んだ娘のことに違いなかった。商細蕊は我意を貫き、死者の夫になったのだった。
程鳳台は商細蕊の腕をつかんで家に引きずって行った。「商細蕊!君は本当に頭がおかしい!」
商細蕊は刺激や圧力を感じると、少しぼんやりする。この数日も落ち込んでいて、程鳳台に引きずられるままに家に入り、一言も言わずに顔を洗ってベッドに入った。程鳳台はベッドに横たわってもまだ悪態をついていて、医者に行って神経症の薬を出してもらうと言った。
しばらく罵っていたが、反応はなかった。振り返ると、商細蕊は肩を震わせていた。彼は身を乗り出して商細蕊が泣いているのを見た。商細蕊は頑固で、どんなに悔しくてもめったに泣かない。しかしこの時は目も鼻も赤くして涙がとめどなく溢れてきた。
彼は泣き声を抑えて「ニ旦那」と叫んだ。商細蕊の叫びを聞いて程鳳台の胸は締めつけられ、目頭が熱くなった。
「ニ旦那、私が彼女を殺したんだと思う?あの日私の芝居を見に来なければよかったのに!」
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