それは商細蕊の身売り証だった。商細蕊の叔父と名乗る人身売買業者の大きな拇印の横に、小さな紅い点があった。幼い商細蕊が小さな手を掴まれて押したものだった。年月が経って指紋は焼けて紅い痣になり、楊貴妃の眉間の点のようだった。
程鳳台は「これもくれないか。珍しい」と言った。
商細蕊は程鳳台を見て言った。「これのどこが珍しいんだ。上海灘のお坊ちゃんは、何も見たことないんだな」
程鳳台は何度も何度も見返した。
「もう無効だよ。持ってても無駄だ」と商細蕊は言った。
「じゃあ有効なのをもう一度書いてくれ」と程鳳台はからかった。
商細蕊はうなずいて、「いいよ。もう一度書こう」と言うと、印章箱を開けて朱肉を指につけ、手を伸ばして程鳳台の頬に真っ赤な指紋を押した。
冗談のはずだった。しかし、何の理由もなく、商細蕊の指が程鳳台の顔に触れたとき、二人の心が同時に震えた。心の隙間から全身に戦慄が走った。紅い指紋は商細蕊の指先から程鳳台の魂に落ちた血のようだった。
二人は呆然と見つめ合った。商細蕊は悪い予感がして、慌てて手をひっこめた。
「察察児の行方が分かったから、もう少し待って、遅くとも年末までには、行かなくちゃならない」と程鳳台は言った。
「どこへ?」商細蕊は尋ねた。
「まず上海に帰る。それから香港、もしかしたら直接イギリスへ行くかも知れない」
「いつ戻るの?」
「戦争が終わったら、帰ってくる」
商細蕊はうなずいた。彼にはとっくに覚悟ができていた。戦争が始まると、まわりの金持ちは家も土地も売って逃げていった。程鳳台が命をかけて付き添う覚悟があったとしても、あの大家族は彼から離れられない。
程鳳台は商細蕊が落ち込んでいるのを感じて、思わず笑いながら言った。「それとも、君も私と一緒に行くか?地方巡業だ」
この問いが商細蕊を爆発させた。手の中の玉器を床に投げつけ、床いっぱいの金銀財宝を指差して言った。「それとも、これをみんなあんたにやるから、ここに残るか?」そう言った時、彼の息は荒く、顔は真っ青だった。程鳳台は何も言えなかった。
商細蕊は部屋を何周も歩き回り、財宝を蹴散らし、程鳳台の肩を蹴った。仰向けに倒れた程鳳台の上に飛び乗って、襟を掴んだ。目が赤くなっていた。「私の持ってるものは全部やるから、私とここに残るか?」
程鳳台は彼の乱暴を怒る気になれず、むしろ心の痛みでいっぱいになって、腕を彼の首に回して引き寄せた。二人の額がぶつかった。程鳳台は微笑んで言った。「日本人から隠れるだけだ。戻って来ないわけじゃない」
商細蕊の目から涙がこぼれた。
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